山鈴運輸株式会社は、1975年の創業以来、約50年続く運送会社です。現在の代表取締役である宍倉茂宗さんは、他業種から3年間の修行期間を経て、家業を継ぎました。宍倉さんが入社して以来、会社は黒字経営を続けているものの、ドライバーの高齢化という不安要素を抱えているのも事実です。今のままでは5年後の大量退職は避けられません。
経営者として、この危機をどのように乗り越え、若者の雇用に繋げていくか、また会社組織としてどのように地域貢献・社会貢献をしていくのか、宍倉さんに今後の展望について話を伺いました。
3ヵ月悩んだ末、事業承継を決意
ーまずは事業について教えて下さい。
当社は飲料の輸送から、重量物、海上コンテナと多岐に渡る輸送に関わる運送会社です。1975年、昭和50年に祖父が創業し、私が3代目です。社長になって5年経ちました。祖父は運送会社の他にガソリンスタンドも立ち上げており、そちらは私の父が引き継ぎました。宍倉の家は古い家で、昔は農業をやっていたそうです。ただ、戦後にもう農家じゃ食べていけないからと祖父がいろんな商売を始め、今もこの山鈴運輸の他に、ガソリンスタンドや不動産業などがあります。
ー宍倉さんご自身は以前別の仕事をされていたとうかがいました。なぜ家業を継ごうとお考えになったのでしょうか。
以前はソフトウエアの会社で働いていたのですが、両親から戻ってきてほしいと頼まれて継ぐことになりました。妻の理解を得るのに時間がかかりましたし、私自身も3ヵ月ほど悩み続けました。しかし、両親には感謝しかなかったので、断れなかったんです。
ー奥様は宍倉さんが家業を継ぐことに反対されていたのですか?
いえ、反対はしませんでした。しかし、彼女はサラリーマン家庭に育ってきたので、不安は大きかったと思います。サラリーマンなら週休二日ですし、有給休暇も取れます。家事・育児の面でも、夫がサラリーマンのままでいてくれた方が安心だったでしょう。最初の頃は苦労もかけてしまったと、自覚はしています。だからこそ3ヵ月ほど悩んだのです。
ー悩んだ末に家業を継ぐと選択した理由は、やはりご両親のためですか?
私は3人きょうだいの長男だったのですが、3人とも大学まで出してもらったり、海外に留学をさせてもらったりするなど、本当にいい環境で育ててもらったので、両親には頭が上がりません。
……それに、私が29歳のときでした。5つ下の弟が不幸にも事故で命を落としてしまい、家業を継げるのは私しかいなくなってしまったという事情もあります。両親にとっては24歳の若さで自分の息子に先立たれた辛さは計り知れないでしょう。そんな両親を見ていたので、帰ってきてほしいといわれたときは、やっぱり断れませんでしたね。
もっとも、帰ってきてすぐに社長就任とはなりません。私は全く別の業界にいましたし、運送業の知識なんてありませんでした。ですから、最初は見習いとして3年間、他の運送会社で現場社員として勉強しながら働かせていただきました。この経験は私にとって大きなものでした。3年間だけでしたが、運送業がどのように動いているのか想像できるようになりましたから。どんな許可が必要なのか、車が走るためにはどういった計画を立てるのか、現場ではどんな作業をしているのか、理解できるようになりました。
本当は5年ほど働いて、経験を積んでから戻りたいとも思ったんです。でも、私が継ぐと決まったとき先代は既に70歳、「5年も待ったら俺は死んじゃうよ」っていわれて、3年になりました(笑)。貴重な3年間を与えてくれた先代と出向先の運送会社の方には、とても感謝しています。
ジェンガを一つでも抜き間違えたら崩れてしまう。うまくいっているからこその苦悩
ー宍倉さんが社長になってから、どのような運営をおこなってきましたか?
実は、私が入社するまでは会社の経営理念がなかったんです。なかったというか、しっかりと言葉になっていなかった。私が就任してから、まずは自分がどういう会社にしたいか、どんな会社であるべきかを考えました。
まずはお客様と地域に愛される会社を目指そう、ということ。そのうえで、社員の幸福を追求し、一人一人の才能が発揮されて成長が実感できる職場を目指す。そして、最終的には物流を通じて社会貢献できるような会社にと、経営方針を立てました。従業員がそれを意識しているかはわかりませんが、大きなトラブルもなく、業績も順調です。逆に順調だからこそ、大きな改革に手を付けられない、という気持ちもあります。
私が入社して以来、当社はずっと黒字で推移しています。主要荷主が決まっていて、17時までにほぼ全員が車庫に帰ってきますので残業も少ない方です。他の運送業者ですと、早朝・深夜仕事も受注して、残業もかなり発生すると聞いていますが、うちは運転手が高齢化していることもあり、無理な仕事は受注しないと決めているんです。
ーなるほど、安定しているからこそ、変えるのが怖いということもありますね。
はい。ジェンガで間違ったピースを抜いてしまったら一気に崩れてしまうように、安定している会社に私がいきなり入って改革をしたら、全てが崩れてしまう可能性もある。そこが経営の難しいところですね。
「3時に帰宅できる会社」で魅力的な職場に
ー今日本では、団塊ジュニア世代が65歳を迎える『2040年問題』が話題になっています。御社も運転手の高齢化が進んでいるということですが、どのような対策を考えていますか?
難しい問題ですね。当社の運転手は年齢も高いので、2040年どころか5年後には確実に大量の退職者が出てしまうでしょう。当社もまた、若い方を取り込むことに課題を抱えているのです。
未経験者の若者に現職ドライバーの隣に乗ってもらい、積み下ろしを助けながら仕事を覚えてもらうなど、工夫をして若者を育成していかなければ、確実に危機に直面します。若者育成のための政府の助成金など、使えるものはフルに使って具体的に取り組まなければ。
若者が育つまで、今のドライバーたちには健康に配慮して、長く働いてもらわなければなりません。だからこそ無理な仕事は受注せず、従業員には過度な負担をかけないようにしています。近年では日本でも仕事だけでなく、自分の生活を楽しむことを大事にする方も多い。当社では残業も少ないので、この際「3時に帰れる会社」をウリに募集するのもいいかもしれませんね(笑)
地域貢献と社員の幸福追求
ー就任以来5年間、宍倉さんご自身は何を大切に経営されてきたのでしょうか?
大前提として、経営理念にもありますが、まずは「社員の幸福追求」です。今いる従業員を大切にし、誇りをもって働いてほしいと思っています。残業をあまりさせないのもその一つです。早朝・深夜の仕事をフルに入れたとしても、それほど大きな金額が動くわけでもない。それなら今ある仕事を早く切り上げて体を休め、次の日に備えてもらう方が、従業員だけでなく、会社にとってもメリットが大きいんです。
また、地域の住民に愛されることも、運送業をやるうえでは重要です。運送業は、地域の方にどうしても迷惑をかけてしまいます。早朝からエンジン音が響きますし、大型トラックが公道を走れば家も揺れるでしょう。ここは住宅街なので、みなさん言葉にしなくても、不快に感じているはずです。だからこそ、地域貢献を経営理念に掲げています。
たとえば、このあたりはカラスの害がひどいので大きなゴミ箱を寄贈したり、雪が降ったらフォークリフトで雪かきをしたり、ときには一緒にゴルフに行くこともあります。こうして先代からずっとできる限りの地域貢献を続けてきたからこそ、当社のような業態でも地域と共存ができたのでしょう。
私自身は、地域貢献と社員の幸福追求、この2つを理念として会社経営をしています。今まで先代、先々代が50年かけて築いてきた信頼を私の代で途切れさせないよう、大切に育んでいきたいと思っております。